【改】33歳 酒好き女の妊娠出産・育児記

「酒好き女の妊娠記」改、「妊娠出産・育児記」として書いていきます。

勝手に評論「ギャップのいい差が恋愛を制す」

今回のバチェラーは、本当に大切に思える人を選ぶターンだったと思う。

目先のトキメキではなく、今後一生を共にするパートナーを選ぶターン。

 

恋ではなく愛

恋人ではなく妻

 

あゆちゃんは他の三人に比べて気持ちが追いついてなかった。

久保さんはもっと前からあゆちゃんが心を開いてくれていて、自分のことをもっとだいすきだと思っていたんじゃないかな。

そのタイムラグを見たときに自分の見てきたもの、感じていたものを嘘くさく感じてしまったのだと思う。

 

なんか人が減って、最後のデートってことで踏ん切りついたのか、みんないい顔してたな。

(特にもりもりの変わりかたがすごかった笑)

 

愛されてる女の顔は美しい

 

言い換えれば、嫉妬やわたしを選んで!って焦ってるとどこかしらに歪みが出るものだね…

 

今回面白かったのは、各女の子のギャップの部分を見ることが出来たこと。

よく「ギャップにやられる」っていうけど、やはり見えてるものと内側に「いい差」がある程魅力的にみえる。

 

あいちゃん

意思の強さ 守ってあげたいかわいさ

あかねちゃん

無邪気さ 不器用さ

もりもり

健気さ 家庭的さ

あゆちゃん

天真爛漫さ 無頓着さ

 

「いい差」があるのは、あいちゃんとあかねちゃん。

差があまりないのは、もりもり

差が悪い方に働いたのは、あゆちゃん

 

今までこうやってギャップについて考えたことなかったけど、人の恋愛で分析すると自分の見せ方についてもわかってくる気がするな。

 

『バチェラージャパンから学ぶ。愛される女になる方法』

今度書いてみようっと笑

 

勝手に評論「モテるオンナとは」

モテる女とはどんな女なのだろう。

バチェラーを見るようになってから、最近ふとそんなことを考える。

・容姿がいい

・明るい

・気遣いができる

・優しい・・・等

列挙すればキリがないけれど、やはり一番は「容姿」だとおもっていた。

なんだかんだ言って人は見た目で大半を決めている。

生まれ持った容姿の優劣はもちろんあるけれども、内面も外見にでるから。

 

例えば丁寧な暮らしをしていれば、髪はつやつやと輝き、肌は綺麗だ。

→ずぼらなわたしはお風呂上がりに髪を乾かさないでそのまま寝るため、髪は痛む。お酒を飲んで泥酔して化粧をしたまま眠るため、毛穴は開き顔はパンパンにむくむ。もちろん大きな吹き出物も。

優しい性格は目元にでる。

→長い反抗期、人を睨み続けていたわたしの目は大きくつり上がっていた。産後ミミをデレデレしながらみているわたしの目元は完全にタレ目だ(加齢のせいだけではない、と思いたい)

内側から溢れ出てくる自信は、その人全体を包み込むような鮮やかなオーラに変わるし、聡明さは指先に現れるような気がする。

 

見た目が美しい女がズラリと揃った場合はどんな女性が選ばれるのだろうか。

もちろん性格の良し悪しもあるし、キャラクターがあう合わないはあるだろうが、皆見た目も性格もいい、と仮定した場合だ。

バチェラーを見ているとそれがわかってくるような気がする。

今回残っていた5人(ゆきぽよも含む)を見てみよう。

 

・自分演出が最高に上手なあざとい系女子(久保さん評:癒し系)

・おっとりだが芯の強いパートナー系女子(久保さん評:素でいられる系)

・嫉妬深い夢見るめんどうくさい系女子(久保さん評:優しい奥が深そう系)

・サバサバ姉御系女子(久保さん評:ゴージャス系)

・元気でムードメーカーな妹系女子(久保さん評:かわいいムードメーカー系)

※今回ローズを受け取った順(5人目は脱落)

外から女が見る姿と、久保さんの評価が違う人も結構いる。

 

普通こんな美女に一斉に言い寄られることなんてありえない。

きっと誰でも「是非付き合ってください!」レベルであろう。

しかし今回のように容姿が全員よかった場合、やはり癒される人が選ばれる(あゆちゃんが本当に癒し系がどうかは別にして)。結婚を考えているのだ、一緒にいて自分が癒される人がいいに決まっている。

 

容姿に自信がない場合、モテる一番の近道は「癒し系」になることだろう。

「元気系」でも「ゴージャス系」でも「妹系」でもなく。

怒らず、相手を全面的に肯定する。相手と一緒にいる時間を最大限に楽しむ。楽しませる。一緒にいて落ち着く、フィーリングがあう、はすべて「癒し系」の特徴だ。

癒し系になれば、どんなタイプの男からも大体は好かれるはずだ。

 

っというのはわかるけどね。

自慢ばかりする男は鼻をへし折ってやりたくなるし、段取りの悪い男には舌打ちの一つでもしたくなる。

どうがんばってもわたしは「癒し系」にはなれない。

つまりモテるためにはまず忍耐力をつけることが大切なのかもしれない。。。

勝手に評論「本当にあざとい女は、女をも扇動する」

バチェラージャパン。

イライラするーーーと言いながら毎週楽しみに観ています。

直近2話はね、とにかく久保さんにイライラ。

結局若い子が好きなのかよ、とかすぐカップル繋ぎするなよ、とか誰にでも「好き」とか軽々しく言うなよとか。

あのデレっとした感じがぞわぞわするわけで。

しかしインスタもフォローして、なんだかんだ毎週金曜日0時を楽しみにしているわたしは久保さんファンなのでしょうね。言ったらヤキモチか笑

 

今回衝撃的だったのはやはり「残された女たちの悪口トーク」。

女は共通の「敵」を作り上げることによって団結するもの。

悪口をいうことの安心感。共同意識(学生のころ、わたしは本当にこれが苦手だった。久々思い出した)。

悪口を言い合う仲間は、自分の悪口も言うに違いないのに、「あの人ってああだよね」「本当にいやだよね」「そういうとこあるよね」って盛り上がることで心を開いたような、一気に距離が縮まったようなそんな気になってしまうから不思議。

悪口の頭には「このメンバーだから話すんだけどさ・・・」みたいなことをいうから、この子は信頼してくれているから、自分たちを大切な仲間と思っているから本音を話してくれたんだ。みたいに思っちゃうんだよね。

 

そんな女の実態はイヤって程知っていたけれど、あざとい女はそんな女の習性をもうまく操るのだということは知らなかった・・・。

自分が集中砲火にあっているときは華麗にスルー。ああこの子になに言っても無駄だな、と思わせて、他の子が集中砲火にあうシュチュエーションになったら油を注ぎその威力を何倍もにする。

「ツーショットでデートにいっている」という責めたくなるポイントに加え、「人の悪口をいう。人の秘密をベラベラしゃべる」という人間としてどうなの!?と正々堂々と責めることができる要素を加えて感情を煽る。

女は感情で生きる生き物だから、その感情を煽って蔓延していた自分へのネガティブな感情の矛先を変えるのだ。

リーダー格の女性って、ストレートで単純な子が多い。責任感が強かったり義理人情に厚かったり。

そういう子はあざとい女にとってはコントロールすることは簡単なのかもしれないな。

もりもりはあざとくなりたいけど不器用で下手くそな女の子。

そりゃあターゲットになっちゃうよね・・・。

 

本当に女って怖い。

あざとい女は頭がいい。たぶん無意識にいろいろな側面から瞬時に計算をして、人の感情を上手にコントロールしている。

策士だ。友達には絶対になりたくないけれど、見方をかえればこういう人をお嫁さんにしたら幸せなのかもね。コントロールされていると気づかずに転がされている間は。

選びたくないお店を選んでしまう赤ちゃん連れランチ(新宿・池袋)

東京は駅ごとにまったく違う表情を持っている。

すぐ隣の駅なのに、ガラリと変わる人種。風景。建物。

10年前に東京に引っ越して来て以来、わたしはほぼ同じエリアに住居を構えている(友人とルームシェアをした1年は千葉に住んでいたが)

 

食べ歩くことが好きで、様々なお店にいった。

 

その中でどうやってもハズレが多い場所。

そしてどうがんばっても好きになれない場所。

 

それが新宿と池袋だ。

できることならば避けて生きていきたい。なんだか空気が合わないのだ。

駅に着いただけでなんだか身体が重くなる。

しかし子供が生まれてから、ちょっと遠方の友人と合う際にこの2つの場所に集合することが多くなった。家の中間地点でアクセスがいいところ、となるとどうしてもここらへんになってしまうのだ。

 

そしてこのような状況のママさんはとても多い。

なのでこのエリアで座敷、個室、ランチとなると予約はかなりの激戦になる。

そのお店が高くて、オペレーションが悪くて、まずくて汚くてもだ。

「赤ちゃん連れOK」をうたっただけで一気に繁盛店になる。

一度行って「あー最悪。もう二度と行きたくないわ」と思ったとしても、また同じエリアでお店を探す場合には予約の電話を入れてしまう。

それだけ赤ちゃん連れのランチ場所が枯渇しているのだ。

 

今日行ったお店も最悪だった。

食べログ評価が低かったし、そもそも場所さえ提供してくれればいいと思ってはいたけれど。

ダメな店は店構えで予感できる。そして一歩入った瞬間にそれは確信に変わって、部屋に通されたあと後悔になった。

 

店中にほのかに漂うグリストのにおい(排水を掃除していないため、あぶらなどがたまり異臭を放つ)。

若い責任感のないバイトのみで構成されたオペレーション(わたしが店長だったら「優先順位!!」と怒鳴ってるだろうな、とぼんやり見ながら順番を待っていた)

掘りごたつなのに掃除の行き届いていない床(とてもじゃないけれど、赤ちゃんを下で遊ばせられない)

 

デザートセットを頼んで、20分後にドリンクだけきて。40分後に「すみません、ご注文いただいていたレアチーズケーキはありません」と謝りにきた。

キッチンスタッフ!!オペレーション悪すぎだろ!!オーダー入ったら普通確認しつつ作業進めるだろ!!

ずっと飲食で働いてきたけれど、どこをどうやったらこんなオペレーションになるのかわからない。相当要領の悪い人か、入ったばかりの新人さんがひとりで作業しているのか。

そして出てきたケーキはまずい。

チーズケーキ、どうしてこんな味にすることができるのかと。

 

何件も電話して、やっと取れた個室、座敷のお店。

多少は目をつむるけど、やっぱりこれは無理。

そして赤ちゃんの機嫌を伺いながらのお茶はがっつり疲れてしまいました。

せっかくの再開もどんよりしてしまった・・・。

 

本当もういやだ・・・。新宿・池袋いきたくない。

 

接客、料理、雰囲気。

適当にやるとはっきりとそれが現れる。

飲食なめてる会社は本当にいやだ。

でもそれでもいいという客層がいるから成り立っているんだよね。

 

女同士のマウンティングに毒されている

女子のマウンティングについて最近しみじみと考える。

 

もともとわたしは幼少期から「女子グループ」というものが苦手だった。

腹をさぐりあって、皆で同じ意見を持って、悪口を言って仲間意識を強めて。

もちろんそんな人ばかりではないけれども、大人数の女子が集まるとどうしても派閥や、やっかみが生まれていた。

そしてそれがとてつもなく面倒くさかった。

社会人になって、ガツガツと働き始めるとその面倒くささはぴたりとなくなった。

男が多い職場にいたからかもしれないし、仕事が激務だったからそんなこと考える余裕がなかったからかもしれない。なんにせよ「女って面倒くさいな」と思うことはなくなった。付き合う女性も割とサバサバ系、おっさん系女子が多く、仕事終わりに生ビール片手に居酒屋でギャーギャー騒ぐ快適な友人付き合いだった。

『大人になると、面倒くさい女子付き合いはなくなるんだな』

なんて漠然と思っていたのだけれど、子供を産んで主婦として母として過ごしていると、また女子の面倒くさい部分をモヤモヤと感じることが増えてきたような気がする。

 

大人になった今感じる女子の面倒くささ第一位はマウンティングだ。

ひょっとしたらこれは若かりし頃にもあったのかもしれないけれど、いろいろなものを手にし始めているこの年代だからこそ、それが余計に顕著になっているのかもしれない。

わたしはあの人よりも幸せだ

わたしはあの人よりも優れている

わたしのほうがあの人よりも上にいる

「上」の定義は曖昧だけれども、誰かを「下」にみて安心したい

そんなぼやっとした空気がママ友間に漂うことがある。

そしてかくいう自分もマウンティングをしようとしていたことに今日気がついた。

最近派手な格好をしたがっていたわたし。

物欲がすごくて、新しいもの、おしゃれなもの、最新のものを手に入れようと躍起になっていた。そしてその心理の奥底には「舐められたくない」という思いが。

誰に負けたくないのか、誰に舐められたくないのかは自分でも明確にはわからないけれど、新しく会った人に「下」に見られたくないという思いが強かった気がする。

「なんでそんなに新しいものが欲しいの?なんで急に派手な格好をしたいの?」

気のおけない長年の友人に率直に聞かれてやっと気づいた。

気持ち悪い変な呪縛がぐるぐると自分の周りに絡みついている気がする。

 

仕事をしなくなって、自分の肩書きも評価される場所もなくなった。

あるのはゆるりとした、肩書きのいらないコミュニティー。

誰かの妻であり、誰かの親であるということがすべてで、自分の特技や能力を明確に披露する場はない。

仕事で評価を受けることはある意味楽ちんだ。

営業ならば数字を上げればいいし、事務ならばミスをしないで効率的に仕事を片付ければいい。仕事が苦手なのであれば人間性でカバーしていくという手もある。

しかしそこから離れた人間付き合いのなかでは、財力や容姿、声のでかさ(意見をゴリ押しするわがまま力)でマウンティングしてこようとする人が多く存在する。

そこには仕事と違って明確な評価基準は存在しない。ありとあらゆるものを使っていい異種格闘技戦

概してそういう人たちは「自分の主人」や「自分の友人」をひけらかす。こんなすごいパートナーがいる自分もすごい的な感じだ。

会話でマウンティングされると非常に疲れる。

ローキックやボディーブローをずっと食らわされている感じ。じわじわと毒がまわって息ができなくなる。だからマウンティングされないよう、上に乗られないように自分も武装して先手をとってマウンティングをしようとしてしまうのだ。

このようなマウンティングが女子会や、主婦同士のお茶会、旦那に呼ばれていく家族ぐるみでのお付き合いの場で静かに繰り広げられている。

 

どうりで最近疲れると思ったんだよね。

自分を飾り立てるための物欲がすごいと思ったんだよね。

 

わたしはマウンティングしたくて仕方なかったんだ。マウンティングされないために。

健康で、家族がいて。お腹いっぱいご飯が食べられて。あたたかい布団で眠れて。

それだけで幸せなのに。

物事はもっとシンプルなのだ。

自分が毒されてることに気がついたから、今日は大きな一歩。

 

誰かに「下」に見られることはやっぱり許せないし、対抗したくなる(本人にその意識があるにせよ無意識にせよ)。

それに対して自分の気持ちの持って行き方はまだよくわからないし、悩みどころだけれど息苦しさの原因がわかって本当によかった。

 

それにしてもやはり仕事をしていたほうが楽だな、と再認識。

仕事におけるマウンティングはライバル視になるし、その負けん気は成果につながる有益なものだもの。

勝手に評論 「女の自分語りの落とし穴」

突然だけどバチェラージャパンにハマっている。

バチェラー評論家になりたいくらいだ。

 

参加者女性たちは自己演出の天才だ。

ライバルだろうが逆境だろうがすべてを踏み台にして、ターゲットの前だけで輝く。

そして語りかけ方、声の出し方、触れ方など所作が美しい。

「計算高い」

ということは本当に頭がいいことなのだな、と彼女たちを見ていると惚れ惚れするのだ。

この番組を見ていると、わたしがいかに恋愛ベタだったかを痛感する。

わたしが恋愛市場で惨敗していたのは、自分がデートで泥酔ばかりしていたのばかりが原因ではなかった(もちろんそれが大きな要因ではあったと思うけれども)。

 

今配信されている最新話で、最有力候補とされていた女性がバラをもらえなかった。

彼女は「本当の自分を知ってもらいたかった」と自分のネガティブな側面を言葉にしてバチェラーに伝えたのだ。

 

「明るくて、元気で、慎ましやかな女性が好きだと思った。だからわたしはそうあろうと取り繕っていたけれど、本当の自分は違う」

 

女という生き物は「本当の自分」を語りたがる。

あなただけに伝える本当の自分。もっとわたしのことを知って。あなただから伝えるの。

しかし概してその「本当の自分」はネガティブな自分だったりする。実際にはそんな特別伝えるべき欠点でもないのにも関わらず、女は口に出したがる。

最有力候補の女性は、自分では上記のように語っていたが、実際には彼女の素はバチェラーの好みに近かったような気がする。明るくて、気遣いができるその姿は作り物ではなかったはずだ。

 

男性は単純だ。耳から入った言葉をその意味の通りに受け止める。

だから女性の口から「本当の自分像」が語られれば、それが彼女のイメージに置き換わる。そして自分の見ていた姿とそれが異なれば、がっかりしてしまうのだ。

 

相手の気持ちを確かめようと「もう別れたい、わたしたち無理だよね」って女が言って、男が間に受けて疲れて別れちゃうのと同じ原理!

 

女が自分語りをしていいことなんてひとつもない。

どうしたって言葉は紡げば紡ぐほど、そこに恋愛感情があればねじれちゃうものだから。

本当の自分、なんて女は瞬間瞬間で変わるものだし、それは言葉にして知ってもらうものではない。勝手に相手に感じさせて、イメージさせるのが一番なのだ。

 

っとまぁ偉そうに書いているが、わたしは「本当の自分」を語るのが大好きだったし、恋愛テクとして使っていたんだけどね。

今更それが逆効果だったのだと知りました。

 

バチェラー、本当勉強になるな。もう使う場所ないけれども!

 

産後8ヶ月 慣れてきた育児と子供への依存回避

ミミはいい子だ。

よく笑ってくれる。機嫌も割といい。

育児も想像よりもストレスに感じない。

 

だからだろうか。何かをしなければ、今後の自分の人生どうすんだ、的な強迫観念に襲われるのは。

仕事は復帰出来る予定だ。でも。本当にこのまま進んで行ってしまっていいのだろうか、という不安がチラチラと頭をよぎる。

自分がどう生きたいのか。

ここを今本気で考えなさいと、自分の中の自分がアラートをだす。

 

このままだと子供に依存した人生になってしまいそうで。

子供のやりたいことが自分のやりたいことになってしまいそうで。

子供に自分の夢や期待を預けてしまいそうで。

 

ミミは大事だ。

彼のために自分の時間をいくらでもかけていいと思っている。

でも過度の期待や思いは彼にかけたくはない。

彼も独立した一人の人間だ。わたしがすべきは彼の人生のサポートをすること。そっと見守ること。

だからわたしもちゃんとわたしの足で自分の人生を歩まなければいけないのだ。

独身時代。30歳を過ぎたあたりから結婚、出産はなんとなくゴールのような気持ちになっていたように思う。

「とりあえず結婚しなきゃ」

「とりあえず出産しなきゃ」

だってリミットがあることだから。

自分の「夢」にやりたいことに目をつむって。だってわたしはもう大人だから。いまさら夢を追いかけるにはもう年をとりすぎているから。

才能がある人はとっくに花開いているから。本当にやりたいのであれば、とっくにその道に入っているから。

いろいろなことを言い訳にして、一般的に「まっとう」と言われる道を歩く。

とりあえずのゴールを目指して歩く。

でもそこを経過してしまった今、どこに向かって歩いていいのかわからなくなっているのだと思う。

 

ミミが寝返りでどこまでも行けるようになって

旦那はTOEICで自己ベストをだして

彼らは自分の道の先に向かって進んでいる。

わたしは?これからどこに進む?

 

昔のわたしだったら、とりあえずお酒を飲んでいただろう。

でもいまは逃げ場がない。いつだって意識はクリアだ。

 

将来ミミに「いつも楽しそうだね」と言われるよう、わたしはちゃんとわたしの道を歩かなきゃだな。