【母乳ウォーズ 乳腺炎との戦い】 体験談編 その③ おっぱいの反乱
翌日同じ病院に行ってもどうにもならない可能性が高いような気がした。
母乳がでなくなった右胸はずっしりと重く、じりじりと嫌な熱を発し続けている。体中の関節が痛み、頭は動かすことができない程の激痛だった。
こんな状態のまま数日を過ごすと思うと恐怖で目の前が真っ暗になった。
どうにかしなくては。
藁にも縋るつもりでネットを見ていると地元でおっぱいマッサージをやっている助産院の名前があがってきた。
「小沼母乳育児相談所」
小沼さんにいったらおっぱいの調子がよくなりました
周りの人に聞くと皆小沼さんに行っていました
どうやら地元では「ゴッドハンド」として皆が頼りにしているらしい。
(ここに行けば助けてもらえるかもしれない…)
一縷の望みにかけ、翌日の朝まずはこの助産院にいくことにした。
小沼さんは住宅地の中にひっそりとあった。
看板は出ているが、よくよく注意してみないと見落としてしまう。
その日も朝から気分は最悪だった。解熱剤を飲んでいるので熱はかろうじて下がっているものの胸は固く熱く熱を持ち、頭は割れるように痛かった。
身体全体が毒に侵された感じといえばいいのであろうか。とにかく息をしていることすらしんどい。
小沼さんは一言でいえば「頼りがいのある人」だった。一目見た時から、この人に任せておけば大丈夫、というような絶対的な安心感を覚えた。笑うと目が猫のようにほそくなる。
早速上半身の服を脱ぎ、ベッドに横になる。
「ありゃあ、これはひどいね。大変だ。辛かったでしょう」
小沼さんはわたしの胸を確認すると声をあげた。
そして胸をマッサージしていく。産婦人科のマッサージと同じく涙が出るくらい痛かったが、「むりやり揉みしだく」感じはなく徐々に胸が楽になっていくような気がした。ただとにかく痛い。涙が出てくる。
そうこうしているうちに次々と他のお客さんとスタッフの人たちがやってきた。
「うわぁ赤くなっちゃって…」
「大変だったね」
口々にスタッフの人が声をかけてくれる。
そこで初めて、これは大変な状態で辛くて、でもこれから良くなっていくのだ、と思うことができて、マッサージの痛さ以外で涙が出てきそうになった。
しばらくマッサージを続けたが、やはり右胸は母乳が出なかった。
「んーこれは詰まっちゃっているね。やはり切らなきゃだめかもね」
一番聞きたくなかった言葉が発せられる。
「切開…ですか…」
「そうだね。このままだといくらマッサージしてもでないと思う。一回切ってしまえばいくらでもやりようがあるから。今日の午後いってきな。○○って病院なら待たずに診てもらえるから」
そう言って紙に病院の名前を紙に書き手渡してくれた。わたしはそれを絶望的な気持ちで受け取る。
「切ったらまた来て。切開後はシコリになりやすいから。膿を出しちゃうマッサージを早めにしたほうがいい」
「はぁ…」
「今日金曜日でしょう。土日またがないほうがいいから、今日の午後にいっておいで」
その日の午後、今度は家から一時間程度の乳腺外科を持つ病院に向かった。
道すがら「乳腺炎 切開」で検索をかける。
なんでもぐぐるのはわたしのよくない癖だ。
『信じられないくらいの激痛だった』
『切開をして、胸にカルーテルをいれた』
『痛すぎて絶叫した。出産よりも痛かった』
検索結果には恐ろしい言葉が並ぶ。
そもそもわたしは血が嫌いなのだ。注射ですら悶絶する。
出産時の帝王切開で限界だったのに、これ以上身体にメスを入れるなんて…
病院につくころには首筋と手のひらにべったりと汗をかいていた
⇒つづく