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【改】33歳 酒好き女の妊娠出産・育児記

「酒好き女の妊娠記」改、「妊娠出産・育児記」として書いていきます。

閲覧注意【母乳ウォーズ 乳腺炎との戦い】 体験談編 その⑤ その後のはなし

切開をしたからといってすぐによくなるわけではなかった。

回復徐々に徐々に。

しかし同時に新たな問題も勃発し、「母乳で赤ちゃんといちゃいちゃタイム」はなかなか訪れなかった。

常に汗だくでミミと格闘する授乳時間。

そして常に「色は変色していないか」「しこりはないか」「痛みがある場所はないか」とおっぱいのことばかり考えていた。

少し頭痛がすれば「乳腺炎なんじゃないか」

少し高カロリーなものを食べれば「乳腺炎になるんじゃないか」

おっぱいに振り回される日々がつづく。

 

切開をした3日後には授乳許可が出た。

しかし乳輪のすぐそばに傷口があり、なおかつその周辺が大きなしこりになってしまっているため、授乳は難しかった。

かといって授乳をしなければまた乳腺炎になってしまう。

わたしは左胸のみで授乳をしながら右胸は搾乳器で随時搾乳を行うことにした。

そのころには左胸の乳腺が発達し、左胸の授乳だけでお腹いっぱいにすることができるようになっていた。

自動搾乳器を右手で押さえつつ、左手で赤くなっている箇所やしこりがある部分を押し出すようにもんでいく。

ぽちゃ ぽちゃ ぽちゃ…ばちゃばちゃ

そのマッサージがうまくいくと勢いよく母乳がでるのであろう。哺乳瓶に落ちる母乳の音が変わる。

ほんのちょっと詰まっている部分を出すだけで身体の倦怠感や張りがとれるのだ。

たった数ミリの母乳に自分が支配されているような気がした。

普段血液がなにもせずともスムーズに全身を流れていることが奇跡に感じる。

 

搾乳を続けていると、切開した部分からも母乳がでるようになった。

最初その光景を見たときには戦慄したが、少しすると慣れた。むしろ大きな穴があいている分、そこから母乳が出ることで右胸全体がつまりにくくなるようだった。

 

しばらくは切開のおかげで乳腺炎にはならずに済んだのだが、切開の傷口がふさがると再び右胸がズーンと重く感じるようになってきた。

相変わらず大きなしこりが残ってしまったためにミミは右胸を飲もうとしない。

小沼さんには週に一回行き、マッサージを受けていたものの行って数日もすると右胸の調子が悪くなってくる。

どうにか飲ませようと小沼さんで受けたアドバイスをいろいろ実践していた。

 

・哺乳瓶の乳首(ピジョンの母乳実感の乳首が望ましい)をつけて授乳

⇒確かに吸ってくれる。しかしミミが浅吸いの癖があるらしく、喉の奥に入るとかんでしまうため哺乳瓶乳首の中が真空状態になり、わたしの乳首がもげそうに痛くなるため断念。果汁用の乳首で試すもののこれまた失敗

 

・しこりを避ける飲み方

⇒縦のみやフットボール抱きをして飲ませるものの、シコリが乳輪に近いためどうしても口にあたってしまう。口に違和感を覚えるため吸おうとしない

 

一生懸命飲ませようとするのだがうまくいかない日々がつづく。そんな中、ミミは右胸を飲みたくがないゆえに「たぬき寝入り」を習得した。

「ふにゃぁ ふにゃあ(おなかすいたよー)」

「はーい、おっぱい飲みますよ(右胸ぺろん)」

飲めないとわかると

「すやぁ…(薄目をあけてこっちの様子を伺っている)」

「(たぬきか…)あれ、おっぱいいらないのかな。じゃあ寝ようね」

下におくと「うぎゃー!!」そして根負けして左胸を吸わせるとゴクゴク…

これはこれで可愛かったが、いつになったら右胸が飲めるようになるのか不安な日々が続いていた。里帰りから東京に戻る日は着々と近づいている。

週に一度小沼さんに通わかなればいつ乳腺炎になってもおかしくない右胸爆弾を抱え、わたしは焦っていた。

 

そして迎えた8月。お盆シーズン。

小沼さんがお休みに入った時、右胸に違和感を覚えた。ズーンと重苦しく頭も痛い。身体の関節も少しずつギシギシときしんでいる。

やばい…

確実に黒い影が忍び寄ってきているのを感じる。

いつにもまして右胸授乳をがんばったが、ミミは変わらずきっぱり拒絶。

仕方なく夏休みで実家に来ていたけーちゃんに吸ってもらった。

しかし母乳はほぼ出ず、吸いすぎてけーちゃんが口のなかを負傷するという形で終わってしまった。赤ちゃんの口の中は母乳を吸うような作りになっているのだ。大人では到底かないっこない。

 

どうしようもなく、胸をアイスノンでギンギンに冷やしその日は眠った。

 

それは朝方の授乳だった。午前4時くらいだっただろうか。

ミミに左胸をあげ、げっぷをさせている時ふと右半身に違和感を感じた。

(…冷たい…)

右側の母乳が漏れたのだろう。そう思って目をやると右半身にべったりとついた血が目に飛び込んできた。

「!!!!????」

声が出ず隣に寝ていたけーちゃんを叩き起こす。

「ちょ…たいへん!!!」

何事かと飛び起きたけーちゃんと一緒に電気をつけ恐る恐るパジャマを確認すると、そこにはそこには大量の血膿がついていた。

「ひっ…」

二人で息を飲む。

切開し、傷が塞がっていた場所が爆発し、そこから母乳と膿がでていたのだ。

母乳パットには黄緑色のぶよぶよしたような膿がつっくいていた。

「こんなのが詰まってたんだ…」

どう考えても乳首からは出ようがない大きな膿がそこにはあった。

 

しばらく呆然とした後、意を決して膿をすべて出してしまうことにした。

小沼さんも乳腺外科もお盆で休みだ。いまは考えられるわたしにできる最善を尽くすしかない。

そして切開した口が空いているいまならシコリを出すことができるかもしれない。

大きく深呼吸をして傷口に向かっておっぱいを絞る。

すると青虫のような動きで膿が混じった母乳がぶにゅにゅにゅっと出てきたではないか。

ぞわっと悪寒が走り、目の前がチカチカする。

しかしそれと同時に悪いものを外に出しているという達成感があった。

 

ぶにゅにゅにゅ

ぶにゅにゅにゅ

 

膿はどんどんとでてくる。最初は濃度が濃かったもののしばらく絞り続けると最終的にはそれはサラサラとした母乳に変わった。

 

「…勝った…」

 

気が付くと窓からは朝日が差し込んでいた。

全身にガチガチに力を入れていたのだろう。肩をはじめとして全身がひどく痛い。

ティッシュにべったりとついた大量の膿を改めて見つめる。

「そりゃあこんなものがおっぱいの中に入っていたら体調も悪くなるわなぁ」

右胸は嘘のように軽くなり、シコリも小さくなったように感じた。

 

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この後徐々に右胸は回復し、これ以降重苦しいつまりは感じられなった。しかし右胸からミミが飲めるようになったのはここからさらに2週間後くらい。

(小沼さんで母乳方法を一緒に試行錯誤しながら考えてくれたおかげで無事飲めるようになった)

 

出産直後から母乳に振り回されっぱなしだった2ヶ月間。

母乳がこんなにしんどいものだとは思わなかった…

 

出産はごく一部の情報しか出回っていないということ、情報は取りに行かなければ得られないこと、しかしそもそもなんの情報が必要なのかということがわかっていないことを自分の経験を通じて改めて実感した。

 

次ではおっぱいとの戦いのなかで自分が得た知識や経験をまとめておこうと思う。

おっぱい…舐めたら痛い目にあいますわぁ。