女同士のマウンティングに毒されている
女子のマウンティングについて最近しみじみと考える。
もともとわたしは幼少期から「女子グループ」というものが苦手だった。
腹をさぐりあって、皆で同じ意見を持って、悪口を言って仲間意識を強めて。
もちろんそんな人ばかりではないけれども、大人数の女子が集まるとどうしても派閥や、やっかみが生まれていた。
そしてそれがとてつもなく面倒くさかった。
社会人になって、ガツガツと働き始めるとその面倒くささはぴたりとなくなった。
男が多い職場にいたからかもしれないし、仕事が激務だったからそんなこと考える余裕がなかったからかもしれない。なんにせよ「女って面倒くさいな」と思うことはなくなった。付き合う女性も割とサバサバ系、おっさん系女子が多く、仕事終わりに生ビール片手に居酒屋でギャーギャー騒ぐ快適な友人付き合いだった。
『大人になると、面倒くさい女子付き合いはなくなるんだな』
なんて漠然と思っていたのだけれど、子供を産んで主婦として母として過ごしていると、また女子の面倒くさい部分をモヤモヤと感じることが増えてきたような気がする。
大人になった今感じる女子の面倒くささ第一位はマウンティングだ。
ひょっとしたらこれは若かりし頃にもあったのかもしれないけれど、いろいろなものを手にし始めているこの年代だからこそ、それが余計に顕著になっているのかもしれない。
わたしはあの人よりも幸せだ
わたしはあの人よりも優れている
わたしのほうがあの人よりも上にいる
「上」の定義は曖昧だけれども、誰かを「下」にみて安心したい
そんなぼやっとした空気がママ友間に漂うことがある。
そしてかくいう自分もマウンティングをしようとしていたことに今日気がついた。
最近派手な格好をしたがっていたわたし。
物欲がすごくて、新しいもの、おしゃれなもの、最新のものを手に入れようと躍起になっていた。そしてその心理の奥底には「舐められたくない」という思いが。
誰に負けたくないのか、誰に舐められたくないのかは自分でも明確にはわからないけれど、新しく会った人に「下」に見られたくないという思いが強かった気がする。
「なんでそんなに新しいものが欲しいの?なんで急に派手な格好をしたいの?」
気のおけない長年の友人に率直に聞かれてやっと気づいた。
気持ち悪い変な呪縛がぐるぐると自分の周りに絡みついている気がする。
仕事をしなくなって、自分の肩書きも評価される場所もなくなった。
あるのはゆるりとした、肩書きのいらないコミュニティー。
誰かの妻であり、誰かの親であるということがすべてで、自分の特技や能力を明確に披露する場はない。
仕事で評価を受けることはある意味楽ちんだ。
営業ならば数字を上げればいいし、事務ならばミスをしないで効率的に仕事を片付ければいい。仕事が苦手なのであれば人間性でカバーしていくという手もある。
しかしそこから離れた人間付き合いのなかでは、財力や容姿、声のでかさ(意見をゴリ押しするわがまま力)でマウンティングしてこようとする人が多く存在する。
そこには仕事と違って明確な評価基準は存在しない。ありとあらゆるものを使っていい異種格闘技戦。
概してそういう人たちは「自分の主人」や「自分の友人」をひけらかす。こんなすごいパートナーがいる自分もすごい的な感じだ。
会話でマウンティングされると非常に疲れる。
ローキックやボディーブローをずっと食らわされている感じ。じわじわと毒がまわって息ができなくなる。だからマウンティングされないよう、上に乗られないように自分も武装して先手をとってマウンティングをしようとしてしまうのだ。
このようなマウンティングが女子会や、主婦同士のお茶会、旦那に呼ばれていく家族ぐるみでのお付き合いの場で静かに繰り広げられている。
どうりで最近疲れると思ったんだよね。
自分を飾り立てるための物欲がすごいと思ったんだよね。
わたしはマウンティングしたくて仕方なかったんだ。マウンティングされないために。
健康で、家族がいて。お腹いっぱいご飯が食べられて。あたたかい布団で眠れて。
それだけで幸せなのに。
物事はもっとシンプルなのだ。
自分が毒されてることに気がついたから、今日は大きな一歩。
誰かに「下」に見られることはやっぱり許せないし、対抗したくなる(本人にその意識があるにせよ無意識にせよ)。
それに対して自分の気持ちの持って行き方はまだよくわからないし、悩みどころだけれど息苦しさの原因がわかって本当によかった。
それにしてもやはり仕事をしていたほうが楽だな、と再認識。
仕事におけるマウンティングはライバル視になるし、その負けん気は成果につながる有益なものだもの。