【改】33歳 酒好き女の妊娠出産・育児記

「酒好き女の妊娠記」改、「妊娠出産・育児記」として書いていきます。

2人目のおっぱい事情 乳腺炎対策

一人目、母乳でひどくつらい思いをしたため、出産前から母乳についてはかなりびびっていた(退院後すぐの胸切開にはじまり、断乳まで定期的に乳腺炎に悩まされる)。

 

37週で一度乳腺をひらいておくとスムーズだ、と聞いたため帝王切開前日に小沼さん(地元のゴットハンドと名高い母乳マッサージ)を予約。

一人目のときにお世話になった漢方屋さんにも電話をし、都内から乳腺炎対策の漢方を取り寄せておいた。

しかし予想外に早い帝王切開になってしまったため、乳腺を開く間もなく入院になってしまった。

出産して子はNICUへと入院。授乳できるのはなんと1日2回だけ・・・もう乳腺炎になるフラグがたちまくっていた。

救急搬送された病院では助産師さんが多く、毎朝検温や子宮の戻りをみるついでにおっぱいのチェックもしてくれるのだが、産後3日目あたりで看護師さんがつまんだ乳首から母乳がにじんだのをみて愕然とした。

 

なぜ・・・

なぜそっとしておいてくれないのか・・・

ついに眠れる獅子を起こしてしまった・・・

 

本来母乳が出たら喜ぶところなのだろうが、本当に恐怖しか感じなかった。

一人目のときの経験が、自分が想像していた以上にトラウマになっていたことに気付いた瞬間だった。

それからは来る看護師さん、来る看護師さんすべてに過去自分がどれだけ乳腺炎に悩まされてきたか、どれだけ乳腺が詰まりやすいかをアピールし続けていた。

カルテにはおそらく「乳腺炎の人」と書かれ、引き継ぎでは「あのおっぱいの人」と言われていたに違いない。

しかし毎回言い続けた甲斐もあり、多くの看護師さんがわたしのおっぱいを気にしてくれるようになり、定期的にチェックや搾乳をしてくれるようになった。

 

やはりアピールはしておくものだ。

 

「なんだか痛いんですけど…」そういって一日一回は助産師さんによる母乳マッサージをしてもらっていた。簡易的なものとはいえ、病院外で母乳マッサージに行けば1回4,000円かかるのだからかなりラッキーだった。授乳は思うようにできなかったけれど、乳腺炎にならずに状態をよく保つことができたのは本当に助産師さんたちのおかげだ。

 

この病院でわたしは初めて「手絞り」というものをできるようになった。

いままでは乳腺を傷つけたらどうしよう、という恐怖で自分の手で絞るなんてことはできなかったが、NICUに母乳を届けるために教えてもらうためにおそるおそる始めた。自動の搾乳機も持っていたのだが、乳腺が開ききっていないうちに使用をすると乳腺を傷つけることがあると聞いてやめた。

考えてみれば、一人目のときあそこまで乳腺炎がこじれてしまったのは手動の搾乳機のせいだった気がする。乳腺が開いていない状態で毎日これでもか、というくらいシュコシュコ搾乳し続けていたのだ。

そう思うと手動も自動も搾乳機は怖くなって使用できなくなってしまった。

 

最初のころ、手でいくら絞っても絞っても母乳は思うように出なかった。

手の平にはじっとりと汗をかき、胸の下からは汗が流れる。下を向きすぎて首はガチガチに凝り固まっていた。

しかし教えてもらいながら毎日やっていくうちに、なんとなくコツがわかってきた。

・親指と人差し指(中指)は対角線上に

・中に押し込み、つまむようにする

・張っている、痛い個所があればそこを軽く押すようにして絞る

・押すのは乳輪。それより外側を押すと乳腺を傷つける可能性あり

 

入院中に手絞りができるようになったことで、今も少し詰まったり、飲み残したなと思った時には自分でスムーズに出せるようなった。

ぴゅうぴゅうと飛ぶ母乳を見ると本当に気持ちが楽になるものだ。

 

あとアドバイスをもらって実践したことは「乳帯」をつけるということ。

くるくると丸めたタオルで胸をあげ、乳帯を胸の下の部分でぎゅっと結ぶ。

これで胸の重さで乳腺が圧迫されるのを防ぐことができるのだ。

いままでは自重で何度か乳腺炎を起こしていたが、これをつけてからは今のところ調子がいい。

 

without 乳腺炎で母乳育児ができることの幸せよ…

こんなにも新生児育児が楽しいなんて!

 

いまのところおっぱいは順調。このままどうかスムーズに日々を過ごせますように。